この4年、何かの口がパカッと開いたような日々。
そしてその口はどんどん広がっていく。

せめて1m四方は跳ね飛ばすエネルギーをためようと画策してきたが今はそのエネルギーがスカスカとこぼれてゆく。

『茫々として今』は、1991年池袋文芸坐ルピリエで発表した
『陰謀のように打った寝返りを』石原吉郎の詩 寝返り からと
2014年の七針で発表した『垂直志向 BaBaBi』を下敷きにしている。

いつもリアルな時をつかめず、フワフラと空間を生きている自分の存在に杭を打ちたくて、表現の場に出ているのだが。
2021年テレプシコール『入射角がずれる』から2年目のソロでもある。

2023年4月某日 深谷正子

「酸素濃度を計る」は5月にd倉庫劇作家シリーズ11、アルベール・カミュ「ペスト」フェスティバル2021参加作品が下敷きになっている。緊急事態宣言により中止とってしまい出来上がった作品を抱えたままウロウロしていたが抱えきれず今回テルプシコールの公演となった。

5月から今日まで否が応でもコロナ旋風に引き回された日々を送り抱えた作品はコロナ渦の今の影響をまともに受けた。ペストの作品コンセプトはそのままに空間設定、美術、衣装等どんどん膨らませている。赤いゴムひもを身体にくくりつける事はそのままであるが、「観察」するキーワードを増幅させた。 空間設定を変化したことで新しいいくつかの要素を加えた。

5ヶ月間の時間経過は多様な動きの変化をもたらした。そこに在る身体がどのようにシェイクしていくか楽しみである。

2011年3月11日に起きた地震は、25年間住んでいる北側の窓の朝日の入り方を変えた。
東から入る日の量が確実に増した。同時に生活の中にはいてくる情報の質も変化してきた。
角度が変化することでいままで隠れていた事実が少しずつこぼれ落ち、生きていく指針に化学変化が起き、身体にじわじわと影響を与える。

そしてこのコロナ騒ぎである。様々な入射角のずれは人地の身体へのずれへ、どうしようもなさと、諦めをあらわにしている。
深谷正子のダンスも後がないと、今あわてている。
極私的ダンスをどうしてもやりたいのである。

2021年8月7日 深谷正子

「現代劇作家シリーズ11:アルベール・カミュ『ペスト』フェスティバル」が、2021年4月27日から5月9日まで東京・d-倉庫で開催される。

「現代劇作家シリーズ」は、共通のテキストを題材に、さまざまな団体が作品を発表するフェスティバル。今回のテーマは、感染症に翻弄される人間の在り方を描いた、アルベール・カミュの小説「ペスト」だ。

今回の参加団体は、錦鯉タッタ、言葉のアリア、ミルズズ、楽園王、チーム・チープロ、仙台シアターラボ、ダンスの犬ALL IS FULL、FAIR FOUL今井夢子×平戸麻衣、bug-depayse、身体思考の10組。各日程、2団体ずつの2本立てで上演され、各公演の初日終演後にはアフタートークが予定されている。また最終日の5月9日には、ヅカ★ガール・飯塚未生の司会で、各団体が作品について語るシンポジウムも開催される。

久しぶりでソロダンスの時間を持つ。

この一年外因、内因で動きがとれずにいた。

少しづつ体も気持ちもウズウズしてきた。

そんな中、四谷茶会紀が年内でクローズすることが聞こえてきた。以前より茶会紀の部屋感にこころ惹かれていたのだが、うまいタイミングでキャンセルがあり、滑り込めた。何かの吸引力を感じる。

今この体で何が生まれるか、体当たりしかない気分である。15名の定員であるが、私にとってちょうど良いと思っている。

ぜひお立ち会いください。

ー 深谷正子

ひとはリアルな棘を呑むことなどできない。

この棘をミクロ、マクロ、あるいは実体のないトゲとして仮想してみる。

人類は今までどれほどの棘を呑み、取り込み、そして突然変異の動機となったのだろうか。

そのことは驚異でもあり、当然の作用、現象でもある。不条理の棘を呑む。

それは時としてプラスにも、マイナスにも作用する。

棘を飲み込んでしまっている私について語ってみる。

ー 深谷正子

2016年はバンクアートで「宙づりというサスペンス」、d倉庫で「エリックサティ版 宙づりというサスペンス」、キッドアイラックアートホールで「オウンゴールの踵」と、群舞作品が続いた。深谷の中でもつっ走しった仕事だったと思う。

その反動か、ゆっくり1人の身体に向き合いたく成った。ぜいたくな事に、向き合いたい身体が多ぜいいる。

無謀を承知で 9名の女性ソロにいどむことにした。こんな幸せな事はないと思う。自分の年令からか、後ろから進め!進め!と強い力で押されているような気がする。プロトシアターも初めての場である。ここでやるならソロ作品だなと決めていた。古い場の歴史をその空間から感じる。

1人1人の性の身体に向け語りかけて来るような場である。9名共通のテーマと空間設定で3日間9作品で転展する。その中で1人1人の差異をどう現わにするか、大きな課題でもあり楽しみでもある。「落下する意志あるいは水」――それぞれのダンサーの中の落下するものとは何か、失って来たものへの問いかけと、希望としての「水」。

9つの異なった物語をどう紡ぎ出すか、あたふたしようと思う。

見えない放射線に汚された空気を吸う我々共通のリバイアサンを抱えている者として。

ー 深谷正子

我々は今、身体的にも心情的にも「宙づり」という言葉で言い表されるのではないだろうか。

人間存在の歴史的な核が喪失してしまい、経済、家族の有り様、仕事の価値観、心の拠り所ほか、すべてが空に浮いてしまっている。

先人は「地に足を付けて生きろ」と口うるさく言っていたが、その地がどこかへ行ってしまった。

存在に向かって360度からくるベクトルが、安定してギュッと固定されているのならまだしも、宙づり状態でどちらに揺れるか推測不能状態である。